冬。息が白くなる季節。
明日から12月だ。
外の空気を吸うと、もうそれは冬のものだから納得するんだけれど、毎日のほとんどを室内でPCとにらめっこしながら過ごしていると、なかなか季節の変化に疎くなる。
疲れた体を引きずりながら建物の外に出て冷たい風を浴び、冬を実感する。
もともと、冬は嫌いだった。
まず、夏生まれなのでそもそも寒さへの耐性が人より弱い。
それに、夏と比べて閉じて湿っぽいような冬の雰囲気が、寂しくて好きになれなくて、冬を呪ってた。
でも、いつからだろう。
相変わらず寒さへの耐性は付かないままだけれど、冬が好きになった。
師走の雰囲気も、
街のイルミネーションも、
少し切なくなる感じも、
すべてがたまらなく好きになった。
それはきっと、
大好きな歌手が冬の歌をたくさん歌っていたり、
冬の素晴らしさを教えてくれた人がいたり、
夏の太陽のようにキラキラと輝くわけではなくとも静かに輝く美しさがあると知ったり、
色々な人や経験のおかげであって。
こうやって好きじゃなかったものを好きになる瞬間こそが、生きるってことの醍醐味のひとつだと思うんだ。
またひとつ、月が変わり、季節が巡る。
このところ、なかなかバタバタしていて心を亡くしがちだったけれど、今年最後の月くらいは、もう少しだけ、もう少しだけ、自分に素直になろうと思う。
喜怒哀楽を感じて、噛み締めて、ときにはワガママに思いを語りたい。
せめて、言葉だけは素直に紡ぎたい。
たくさん重ね着できる冬だからこそ、思いはできるだけそのままで。
クラフトビールとの出会い
いつのまにか自分でも驚くほどに興味が尽きないようになっていて、
ツイートもそのことが半数以上を占めて、
ああ私は好きなんだなあ。ハマってるんだなあ。って改めて気付く。
クラフトビールに。
クラフトビールにハマっている。
存在を認知したのは、去年の今頃。
何気なくFacebookを見ているとき、タイムラインに流れてきた友達の投稿がきっかけだった。
その頃の私は、日本酒の美味しさが少しわかるようになり、たまに飲み歩いては酷い失敗を繰り返し、また懲りずに飲んでいた頃。だから、学生時代に比べるとお酒への興味は強くなっていた。
それにしても、なんだこのカエル???
これがビール???
ビールって、もっとおっさんくさくて重厚なラベルのものじゃないん??
そんな感じで、結構衝撃で、なんかわからんけど飲みたくて仕方なくなって、このビールが売ってあるというローソンに走った。
最寄りのローソンには、売ってなかった。
※このローソンでは、今でもクラフトを一切取り扱っていないので、私はここをローソンだと認めていない(笑)
だから、チャリを飛ばして別のローソンに向かう。
あ、あった。
カエル、いた。
待ってくれてた。
棚から一本取り上げてレジへ向かいお会計を済ませてから、一目散に家へと向かった。
部屋に入り、ビールと対峙する。
どんな味がするんだろう?
少しドキドキしながらタブを開けると、か、香りがすごい!アロマだ!
これまで香りとビールなんて私の中でまったく結びつくものじゃなかったから、驚いた。
まだ少し動揺しながら口に入れてみた。
感動した。
なんだ、このフルーティーで、喉に爽やかにまろやかに広がる感じは。
はじめての味だった。
そのときは、おいしい!というよりびっくり!が勝っていた。
「僕ビール、君ビール。」のラベルにこんな言葉が書いてある。
ハッとする味と香り。これが僕らのビール。
時代は変わる。ビールは変わらない。なんてことはない。
きょう、この時から、僕らの生活に色を加える。
新しいビールの体験がはじまる。
いや~
わたしまんまと戦略にハマってしまった(笑)
これが、クラフトビールを意識した最初の出会い。
※それまでに、ベルギービールを飲みにいったことなんかはあったけど、「甘くて飲みやすいビールだなあ!わーい!」くらいにしか思ってなかったから
ただ、1年前からずっとハマってるわけではなく、自分からどんどん買ったりお店に足を運んだりして本格的に飲み始めたのはこの夏からくらい。
そもそも、そのきっかけはあまり覚えてないんだけど。
最近では、クラフトビールの本を買い、クラフトビール関連のイベントごとには積極的に参加し、飲み友達がつかまらないときには平気で一人で2-3軒をハシゴする感じになっていて、若干周りに驚かれている(ひかれている?)けど、気にしない。気にしない。
だって、クラフトビールに出会ってから、私の人生には確実にハッピーが増えたから。
個性豊かで飽きないビールの香りと味も、
同じくビール好きの友達と飲みながら笑い合う時間も、
お店のカウンター越しにビールが注がれる様子を見ることも、
たまたま同じ時間に同じ店に飲みに来ていた名前も知らないお客さんと会話をすることも、
とっても好きだから。
好き!で終わらせるんじゃなくて、もっと色々勉強したいな。
I LOVE CRAFT BEER♥︎
すきなこと
「何者」を読んだら、それはそれはとても糖分が欲しくなった
話題になったのはだいぶ前だけど、つい最近友達が絶賛してて、はじめて手に取ってみた。
「何者」/朝井リョウ
就職活動中の大学生の心境をTwitterと絡ませながら生々しくリアルに描写させたお話。
今この時代のこの年代の作家にしか書けないだろう作風で直木賞を受賞され有名になってたっけ。
この物語の主人公は拓人という大学生男子。
彼を取り巻く友人に対して、拓人目線での冷静な描写が続く。
留学経験やボランティア経験を盾に就活をし、OB訪問のために名刺まで作ってしまうようなキラキラ系女子大生、
かつて一緒に演劇をしていた仲間であり「自分にしかできない演劇を」と劇団を立ち上げた友人、
「就活なんて社会の流れに乗ってる奴らは自分でモノも考えられないやつらだ」と斜に構え「人と違う俺カッコいい」的オーラを醸し出してる大人ぶり系男子、などなど。他に、『役割や主人公との関係性は深いけどそれほど癖の無い人物』として描写されている者もいる。
自分を取り巻く彼らに対して、一大学生であり一就活生の拓人は冷静な目で批判する。
「よくこんな肩書きだらけの名刺なんて配れるな。こいつは肩書きでしか自分のことをしゃべれない」
「いつも口だけ綺麗事言いやがって。実際の芝居はネットで叩かれまくってる癖に」
「斜に構えてるやつはカッコワルイ。みんな、『就活をする』という決断をしているのに。こいつは『人と違う』と思い込むことで自分を保っている」
冷静な分析は、思わずウンウンと頷いてしまう。
FacebookやTwitterをある程度ヘビーに使ってる人間は特に「こんなやつ居るな~」なんて共感してしまうかもしれない。
だから、物語を読んでいる間は、いつの間にか自分が拓人になっている。
拓人と同じ目線で物事を見て、批判をする拓人に少なからずの共感をする。
そんな共感しやすい構造になっている物語を読み進めていたら、最後の最後に痛い目に遭う。
拓人は、突きつけられるのだ。
一番カッコ悪いのは、自分だということを。
誰かのことをカッコ悪いと笑う、自分が一番ダサいのだということを。
行動をせず批評をするだけで人より優位に立ったかのような気分になっていた、空虚な自分が死ぬほどダサいということを。
誰にも見られたくなかった行動と言動を証拠に、自分でも目を反らしていた自分の醜さを、痛いほど突き付けられるのだ。
もうね、このシーンを読んだときには、自分も多かれ少なかれ拓人に感情移入してるわけだからね、なんか本当に喉になんか熱いものを突っ込まれる感じというかなんというか、手汗止まらない的な感じになったよね。
朝井さんって優しいなあ、と思ったのはラストシーンで拓人に救いを与えてあげたところ。正直、突き落として終わり、の方がインパクト残りそうだから、結末的には賛否両論あるに間違いないけど、拓人は最後、自ら批評家の鎧を剥がそうとすることで救われた。どんな終わり方がベストなのかなんてわからないけど、少なくとも私は、最後に「泥臭く自分の言葉で自分のことをしゃべる」拓人が一番立派に見えたから、なんかこのシーンがあってよかったと思った。
それにしても、話がリアルすぎて、なんか色々共感要素ありすぎて、読み終わった後すんごい疲れた。
この後2冊くらい小説読もうと思ってたのに、そのパワーどこかへいっちゃったし、最近甘いものそんなに好きじゃないのに自らドトールに駆け込んで甘い甘いココア頼むくらいにはすり減ったわ。
ちょっと、この本から感じたことをオリジナルな言葉で学びとして発信するほどにまだ消化できてないから、これから生きてく中で消化できて、自分の言葉でしゃべれるようになれたらいいな。
品川駅で消耗して、回復して、無色な街を想う。
品川駅のアナウンスで目が覚めた。そうだ、ここは東京だった。いつもと違う朝だ。
オフィスに向かう前に、品川駅構内のコインロッカーに荷物を預けようとしたら、通勤ラッシュと見事に時間がバッティングし、品川に出勤している人波に逆行するのに、びっくりするくらいの労力を使った。ようやく電車に乗れた頃には、汗だく。冷や汗だろうかこれは。将来東京で住むことになっても、会社までチャリで行ける範囲に住むか、リモートワークを提唱している企業で働くしか、生きぬく術はない気がした。
途中乗り換えた電車は、9時を周っていたからか空いていて、座ることができた。空いてる席を見つけたときの私の目は、カラカラの喉で砂漠を歩いていてオアシスを見つけたときの人の目とあんまり変わらなかったと思う。
出だしがそんなんだったもんだから、とにかく東京に疲れていた。やっぱりこんな土地住むところじゃないわ、って思ったりした。
でも、人間は単純なもので、嫌なことがあっても、その後にいいことがあればまた頑張れる生き物だし、嫌いになりかけたものの価値を再定義できる素養がある生き物だ。こりゃ結構ヘヴィーだぜいと思ってた予定をどうにかこなせたり、取材をしてお客さんの笑顔を見れたりしたら、なんか嫌だったことなんて全部忘れた。
幸い、帰りは夕方より前に帰れたので空いていた。それでも電車には色んな人が乗っていた。駅ではさまざまな人が行き交っていた。年齢も性別も職業も表情もバラバラな人たちが、歩いていた。生きていた。それぞれの物語をしょって。
東京は淡白な街だと思う。でも、色んなものをしょって歩いてる人が、他のどの街よりも多い街だなとも思う。
安っぽい言葉になってしまうけれども、「ああ、みんながんばってるんだなあ」ってことを、なんか一番感じられる街なんだ。
昨日、友達とごはんを食べるため、大久保という街にはじめて降りた。
かなり人気のあるベトナム料理を平らげた後、お店に入る前より少し寒くなった駅前の道を歩きながら思った。
「もし将来東京に住んだとしても、この街に私は馴染めないし慣れない気がする。」
昔少しだけ東京の別の街に住んだときにもなんとなく、そんなことを感じていた。
なんでだろうって思ってたけど、今なんとなく分かった気がした。
東京はきっと、誰のための色にも染まらない街なんだ。その分、いろーんな人を受け入れられる。
簡単に染めたり染められたりしていたら、その街はアクを強くしてしまうか、もしくは限られた人のための街になってしまうから。だから、街は貴方にも私にも色を付けたがらないのかもしれない。
私こじらせてるわー。とか思いながら深呼吸をしつつ、さらけ出す夜も悪くない。
幼稚園の頃の写真を見返すと、びっくりするくらい女の子っぽい服を着て写っている自分が居る。着せられてるなあって感じだ。
25歳と2ヶ月
10代のとき、25歳になるころには何かを掴んで名を挙げたいと思っていた。