「何者」を読んだら、それはそれはとても糖分が欲しくなった

話題になったのはだいぶ前だけど、つい最近友達が絶賛してて、はじめて手に取ってみた。

 

「何者」/朝井リョウ

何者

何者

 

 

 

就職活動中の大学生の心境をTwitterと絡ませながら生々しくリアルに描写させたお話。

今この時代のこの年代の作家にしか書けないだろう作風で直木賞を受賞され有名になってたっけ。

 

この物語の主人公は拓人という大学生男子。

彼を取り巻く友人に対して、拓人目線での冷静な描写が続く。

 

留学経験やボランティア経験を盾に就活をし、OB訪問のために名刺まで作ってしまうようなキラキラ系女子大生、

かつて一緒に演劇をしていた仲間であり「自分にしかできない演劇を」と劇団を立ち上げた友人、

「就活なんて社会の流れに乗ってる奴らは自分でモノも考えられないやつらだ」と斜に構え「人と違う俺カッコいい」的オーラを醸し出してる大人ぶり系男子、などなど。他に、『役割や主人公との関係性は深いけどそれほど癖の無い人物』として描写されている者もいる。

 

自分を取り巻く彼らに対して、一大学生であり一就活生の拓人は冷静な目で批判する。

「よくこんな肩書きだらけの名刺なんて配れるな。こいつは肩書きでしか自分のことをしゃべれない」

「いつも口だけ綺麗事言いやがって。実際の芝居はネットで叩かれまくってる癖に」

「斜に構えてるやつはカッコワルイ。みんな、『就活をする』という決断をしているのに。こいつは『人と違う』と思い込むことで自分を保っている」

 

冷静な分析は、思わずウンウンと頷いてしまう。

FacebookTwitterをある程度ヘビーに使ってる人間は特に「こんなやつ居るな~」なんて共感してしまうかもしれない。

だから、物語を読んでいる間は、いつの間にか自分が拓人になっている。

拓人と同じ目線で物事を見て、批判をする拓人に少なからずの共感をする。

そんな共感しやすい構造になっている物語を読み進めていたら、最後の最後に痛い目に遭う。

 

拓人は、突きつけられるのだ。

一番カッコ悪いのは、自分だということを。

誰かのことをカッコ悪いと笑う、自分が一番ダサいのだということを。

行動をせず批評をするだけで人より優位に立ったかのような気分になっていた、空虚な自分が死ぬほどダサいということを。

誰にも見られたくなかった行動と言動を証拠に、自分でも目を反らしていた自分の醜さを、痛いほど突き付けられるのだ。

 

 

もうね、このシーンを読んだときには、自分も多かれ少なかれ拓人に感情移入してるわけだからね、なんか本当に喉になんか熱いものを突っ込まれる感じというかなんというか、手汗止まらない的な感じになったよね。

 

 

朝井さんって優しいなあ、と思ったのはラストシーンで拓人に救いを与えてあげたところ。正直、突き落として終わり、の方がインパクト残りそうだから、結末的には賛否両論あるに間違いないけど、拓人は最後、自ら批評家の鎧を剥がそうとすることで救われた。どんな終わり方がベストなのかなんてわからないけど、少なくとも私は、最後に「泥臭く自分の言葉で自分のことをしゃべる」拓人が一番立派に見えたから、なんかこのシーンがあってよかったと思った。

 

 

それにしても、話がリアルすぎて、なんか色々共感要素ありすぎて、読み終わった後すんごい疲れた。

この後2冊くらい小説読もうと思ってたのに、そのパワーどこかへいっちゃったし、最近甘いものそんなに好きじゃないのに自らドトールに駆け込んで甘い甘いココア頼むくらいにはすり減ったわ。

 

ちょっと、この本から感じたことをオリジナルな言葉で学びとして発信するほどにまだ消化できてないから、これから生きてく中で消化できて、自分の言葉でしゃべれるようになれたらいいな。