品川駅で消耗して、回復して、無色な街を想う。

品川駅のアナウンスで目が覚めた。そうだ、ここは東京だった。いつもと違う朝だ。

オフィスに向かう前に、品川駅構内のコインロッカーに荷物を預けようとしたら、通勤ラッシュと見事に時間がバッティングし、品川に出勤している人波に逆行するのに、びっくりするくらいの労力を使った。ようやく電車に乗れた頃には、汗だく。冷や汗だろうかこれは。将来東京で住むことになっても、会社までチャリで行ける範囲に住むか、リモートワークを提唱している企業で働くしか、生きぬく術はない気がした。

途中乗り換えた電車は、9時を周っていたからか空いていて、座ることができた。空いてる席を見つけたときの私の目は、カラカラの喉で砂漠を歩いていてオアシスを見つけたときの人の目とあんまり変わらなかったと思う。

出だしがそんなんだったもんだから、とにかく東京に疲れていた。やっぱりこんな土地住むところじゃないわ、って思ったりした。

 

でも、人間は単純なもので、嫌なことがあっても、その後にいいことがあればまた頑張れる生き物だし、嫌いになりかけたものの価値を再定義できる素養がある生き物だ。こりゃ結構ヘヴィーだぜいと思ってた予定をどうにかこなせたり、取材をしてお客さんの笑顔を見れたりしたら、なんか嫌だったことなんて全部忘れた。

幸い、帰りは夕方より前に帰れたので空いていた。それでも電車には色んな人が乗っていた。駅ではさまざまな人が行き交っていた。年齢も性別も職業も表情もバラバラな人たちが、歩いていた。生きていた。それぞれの物語をしょって。

 

東京は淡白な街だと思う。でも、色んなものをしょって歩いてる人が、他のどの街よりも多い街だなとも思う。

安っぽい言葉になってしまうけれども、「ああ、みんながんばってるんだなあ」ってことを、なんか一番感じられる街なんだ。

 

 

昨日、友達とごはんを食べるため、大久保という街にはじめて降りた。

かなり人気のあるベトナム料理を平らげた後、お店に入る前より少し寒くなった駅前の道を歩きながら思った。

「もし将来東京に住んだとしても、この街に私は馴染めないし慣れない気がする。」

昔少しだけ東京の別の街に住んだときにもなんとなく、そんなことを感じていた。

なんでだろうって思ってたけど、今なんとなく分かった気がした。

東京はきっと、誰のための色にも染まらない街なんだ。その分、いろーんな人を受け入れられる。

簡単に染めたり染められたりしていたら、その街はアクを強くしてしまうか、もしくは限られた人のための街になってしまうから。だから、街は貴方にも私にも色を付けたがらないのかもしれない。